Ri りゆうかい -イキイキした退職後の暮らし-

 身心に住みついたDRLの想い出
                       鳥巣 照吉

―外資系企業DRLへ就任発令
 1982年(昭和57年)4月DRLに着任。以来22年間勤務をDRLにて務め上げました。着任時は高田社長にこころよく迎えていただきました。 マリンクロットとの合弁会社ということで、初めての外資系企業に身を置くことにわくわく感がありました。事実大国工場長の案内で マリンクロットを訪問できました。別棟にある役員室にはそれぞれの部屋の前に1人ずつ配置された物静かな中年の女秘書の笑顔の挨拶を受け、 秘書体制がしかりとしていたこと、ゆったりとした男性の案内役から上着着用を求められた礼儀正しさなどに感心しました。 また食堂の掲示板にマネジャーの欠員発生のため、まず社員に応募をしていることには驚きました。社員を大切にしていました。
―DRLでの私の役割
 DRLの経営は日本側に任せられ経営体制は第一製薬流であり、わくわくした外資経営に触れることが無となり正直がっかりしました。 そこでDRLに相応しい新しい経営体制を造ることに喜びを持つことにしました。就任期間中、この強い喜びを仲間と共有でき並走 していただくことになり定年まで本当に楽しく過ごさせていただきました。それ故に多くの方々の暖かい心に沁みる忘れ得ぬ思い出 があり、書き尽くせません。
―OB会の発足
 2008年が発足し、当年第一回が開催されDRLとの嬉しい縁が永続されるようになりました。OBとなりました今日でも、現在は富士フイルムRIファーマ(株) となりましたが現役の方との話し合いの実現や、社内報にある方々の元気な活躍の姿をみて懐かしんでおります。
―小川弘様との出会い
 DRLにて小川弘様にお会いできましたこと、私の一生の宝であります。私にとって未知の新しい企業(DRL)に勤めることになった 不安な時期、心温まる励ましのお声を掛け続けていただきましたこと、DRL卒業まで若輩者を優しく見守っていただきましたことなど 社員の枠を超えた、人生の師と仰ぐ方に巡り合えましたこと、感謝の至りであります。
―結びに当たり
 今年(2009年、平成21年)7月に70歳となります。生ある限りDRLにてお世話になりました高野様を始めとする先輩、同僚そして 仲間の方々に恩返しができればとの強い思いがあります。DRLの新しい繁栄にわずかでもお役に立つことが出来れば幸いであるとして、 日々を九州小倉の地で妻と共に過ごしています。
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