Ri りゆうかい -イキイキした退職後の暮らし-

 DRLの思い出
               中川 義

 昭和44年5月29日に第一製薬(株)7階の昭和通りに面した小さな事務所に出社し、DRL29番目の社員としてスタートしました。
7階の事務所では六角常務が昼休みには口笛を吹いており、とても良い雰囲気の事務所でした。昭和44年6月5日に通産省から営業許可が出て初めて自前の営業活動が開始し、 日本アイソトープ協会からの受注もスタートし、受注・生産・出荷と一人前の会社として売上が計上されました。
 当時、4月と言えば春闘で国鉄、私鉄がストップしホテル、旅館に宿泊して会社へ出勤するサラリーマンが多数いて主要駅・道路状況をテレビで放映されていました。 私は事務課に所属し第一製薬(株)から出向されていた西川さんの下で経理を担当し、第一製薬(株)へ提出する資料の作成、マリンクロット社に提出する 経理資料の作成、銀行との交渉、等経理業務全般を担当していました。
 DRLの売上高が増加するに伴い人員、生産規模も大きくなり墨田工場から 千葉工場への移転、本社も第一製薬(株)7階から徳力ビル、大野ビル、内田洋行ビルと移動の連続でした。私の担当業務も本社では経理、総務、 輸入企画、工場では配送、物流、受注業務、生産業務、総務を担当しあっという間の37年4ヶ月のサラリーマン人生でした。
 今振り返ってみると、DRLでは他では味わえない貴重な経験でありました。これからの第二の人生は地元四街道でテニス仲間、ゴルフ仲間との交流、 地域行事への参加、自然保護活動への参加、等等、充実した生活を楽しんでいます。
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