
緊張の一瞬
森岡 晃司

入社時には従業員は90数名だと記憶していますが、社内は活気があり全社員が毎晩夜遅くまで働き、私の場合は毎日のように 東京駅から東海道の最終電車で茅ヶ崎駅に午前1時頃に戻ってくるという生活でした。色々な仕事の記憶が断片的に頭を巡り ひとつの事柄だけを取り上げることは難しいのですが、あえて述べるとすれば入社1年目の1974年に当時の石黒社長と池田常務に 随行し合弁相手のセントルイスにあるマリンクロット本社を訪問し、そこでDRLの歴史上最初で最後の株主総会が開かれ、 私は通訳として出席したことです。
私にとっては初めてのセントルイス訪問でありかつ株主総会という大舞台での通訳はまだ経験もなく本当に不安と緊張の連続でした。 株主総会の議事内容は事前に英文で準備されていましたので読み上げるだけで問題はなかったのですが、会議中の両社の出席者からの 質疑応答の通訳が一番不安でした。株主総会の前夜はできるだけマリンクロット社役員一人一人と話をして、相手の英語に少しでも 慣れるようにしました。
特にマリンクロット社の金庫番といわれていた監査役は、パイプを口にくわえたまま話すのでほとんど聞き取れなく、 株主総会時に発言されるとお手上げだと思いその人には発言の時にはゆっくり易しい英語表現でお願いしますと事前に申し入れ、 相手は快く了解してくれました。
その結果、なんとか無事に株主総会を終えることが出来た時には身体中の力が抜けましたが、役員の皆様から お褒めの言葉を頂き私の忘れられないひと時となり、この経験がその後の仕事に対する大きな自信となりました。